保存版 日光東照宮の歴史・魅力とは?東照宮禰宜に聞く、建築に隠された秘密

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 先日、同業組合青年部の勉強会で、「日光東照宮の魅力」と題して、東照宮禰宜・青山氏よりお話をうかがう機会を得た。不勉強な私にとって、今までに聞いたことのない大変興味深いものであった。

 以下、その時聞いたお話をまとめてみた。

 


家康は神となった

 徳川家康が日光東照宮に祀られるようになったのはなぜか。

 家康は本田正純、南光坊天海、金地院崇伝を前に遺言をしているがそれを金地院崇伝は記録していた。それによると、「私が死んだならば、その後遺体は久能山へ納め、葬儀は増上寺で行うこと。

位牌は生まれ故郷の三川(河)の大樹寺に立てること。一周忌が過ぎたら日光に小さなお堂を建て、そこに霊を移せ。そこで八州の鎮守となろう。」と言う内容であった。

 

 息子である2代将軍秀忠は、この遺言を忠実に守り、日光東照宮を建てたのだが、現在のものは3代将軍家光がその後ほとんどすべて建て替えたものであるとのことである。

 


莫大な総工費

 総工費に関しては、寛永十二年に、「日光山東照大権現様御造営御目録」という今で言う決算書が残されている。

 それによると、金五十六万八千両、銀百貫目、米千石とある。講師の青山氏はあえて明言は避けたが、当時の金一両は米に換算して120升。それは大人一人の1年分の米の量だという。また金一両は銀64匁に相当するとのこと。各自で計算してほしいとのことだった。

 

 大工の人夫賃が記載されているが興味深い。

 平大工で日当が米6升5合。彫り物大工では米7升5合。小曳大工だと米4升5合だそうだ。これらの職人たちが延べで454万1230人。工期1年5ヶ月。一日約8900人が建設にあたったという。

 まさに気の遠くなるような、これこそ「莫大な」という形容がぴったりの大建設事業であったことがわかる。

 

 さらにおもしろいお話を伺った。

 


「ねむり猫」の秘密

 有名なあの「ねむり猫」。

 猫は牡丹の花の上で居眠りをしている。実はこの猫のすぐ裏には、竹藪で安心して遊ぶスズメが描かれているそうだ。この猫はスズメを追いかけたりしない、と言うことで「平和」を表現しているのだという。

 またあの「陽明門」であるが、12本ある柱の内、1本だけが彫刻が逆さになっている。これは「次の日から古くなるので、完成する一歩手前でやめておく」つまり「建物が未完成」ということなのだ。

 この柱は魔除けの逆さ柱と言われ、このように大工が縁起を担いだものは東照宮には何ヶ所も見られるという。

 

おわりに

 老神温泉にとって日光東照宮は周遊観光地の一つに入り、しかもユネスコの世界遺産に登録されたという大変貴重な観光資源である。

 奇しくも2003年は徳川幕府開闢400年にあたる。学校の旅行などで数回訪れたことはあるが、せっかく車で2時間足らずという恵まれたところにいるのである、また足を運び、ゆっくりと見直してみよう。

 きっと新しい発見があるに違いない。

 

 

 この文章は、同業組合機関紙への投稿文である。

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